「黒百合」、いろんな読み方があるものだ。ネタバレ注意

 先日、多島斗志之「黒百合」を読んだ。こりゃ何か書きたいと思ったが、再読して確認したいこともあり、時間がかかってしまった。多くの人がレビューや感想文を書いているようだが、トヨザキ社長の駄々な日々、大森望さんのmixi日記、またそこからのリンク先、Amazon.co.jpのカスタマーレビュー(思ったより少ない。ネタバレなしに語れないからだろう)だけ見てもいろんな見方があるようで興味深い。

 この本は青春小説と叙述トリックを組み合わせたミステリだ。複数の視点で描かれている。

 1952年(昭和27年)の青春部分は、父の友人(浅木さん)に招かれ、六甲山の別荘で夏休みを過ごすことになった「私」(寺元進・当時14歳)の視点で、大人になってからの回想。寺元進と浅木一彦(浅木さんの14歳の息子)が遊んでいるうちに、大きな別荘の同じ年の少女・倉沢香と出会い、二人とも香に惹かれていくのであった。
 この年、「君の名は」のラジオ放送(昭和毎日によると1952/4/10~1954/4/8)が始まったとのことで、小説中でも人々が聴いている。

 昭和10年(1935年)のベルリンでの部分は、浅木さんの視点。「翁」こと小芝一造社長(東京電燈と宝急電鉄の社長を兼務、当時62歳)のヨーロッパ視察旅行に、浅木(30歳)と寺元(32歳)が随行した。そこで出会った印象的な女性・相田真千子についての話である。

 昭和16~20年(1941~45年)の章の「私」は宝急電鉄の車掌のち運転手で、積極的に「恋文」など書いて近づいてきた16歳の少女・倉沢日登美との交際と、終戦の年に起きたある事件についてを描写している。「私」が誰なのか、この時点では明らかにされていない。倉沢日登美は倉沢香の叔母(父の実妹)で、寺元進たちに親切な人としてのちに登場。昭和27年の一部に、誰なのか不明な「私」の視点がまた出てくる。

 わしがどう思ったのかを自分用メモを兼ねてちょっとまとめてみよう。ネタバレ部分は、「黒百合」未読の人は見ないほうがいいよ。

ネタバレ


 相田真千子は自分の考えをちゃんと持っている、しっかりした女性なのであるが、いかんせん流されやすいのであった。若い頃は、外見が美青年っぽかったので、人妻に言い寄られればバイセクシャルに走ってしまい、倉沢日登美に慕われれば、嫌な思い出のある男の妹だというのに親しくしてしまう。男から駆け落ちしようと言われれば、ドイツ語を知らなくても先にベルリンに行くし、ホテルで隣の人に匿ってくれと頼まれると、それが違法だと知っていても助けてしまう。詮索好きのじいさんたちと夕食をともにするのがイヤで一度は断っても、また押しの強い商社マンに誘われると同席してしまう。

 そして再会したやもめの男(浅木さん)に強く望まれて結婚し、思いやりのある夫が「義足が蒸れないように」六甲に別荘を買うといえば、六甲には嫌な思い出のある男の家族がいるというのについていくことになる。

 真千子の意思で物事が運んだのは、酒場をやめたい、デパート勤務よりも車掌になりたい、木の玩具を作りたい、というぐらいであった。二つの殺人は、一つは正当防衛、もう一つは恐喝を止めるため。それ以上の意味はなかったのである。

 しかし終戦の年に男に突きつけられた拳銃が、プロによるメンテナンスもなく、弾の補充もたぶんなく(隠したのを雨のあと拾ったわけだから)、練習もしなくてよくもうまく撃てたものですな。これは「ヴァルター=ワルサー」を入れたいだけのための傷になってしまった。

 14歳の子供たちが、香に出会うことになる「ヒョウタン池」で遊ぶことを選んだとき、運命の女神が「嗤いかけた」のは、最初に読んだときには「のちに親友になる男子二人が、女子一人をめぐってライバル関係になる」からだろうと思ったが、彼らの出会いがゆくゆくは、真千子の第二の殺人につながる小さなきっかけとなったからだった。

 真千子はせっかく、何年も倉沢家から目をつけられないように暮らしてきたのに、子供たちがいつのまにか一緒に遊ぶようになってしまった。「六甲では誰もが知るという大きな別荘。そこの娘と自分の息子とがいつのまにか親しくなっていたことを知って、一彦のおばさんはちょっと驚いているふうだったが」、昔の因縁を思っていたに違いない。

 そして息子たちが、倉沢家の運転手と香の叔父・貴代司を間違えたため、貴代司の前で適当に言いつくろっただけだった「父(浅木さん)がビュイックを買おうと思っていて…」が、貴代司にとっては「浅木家にはカネがある」と解釈されてしまった。それがなければ、第二の殺人は起こらなかったのだ。

 当時の大人たちの死後もずっと、一彦の家に飾られた木の玩具は、真千子が運命からも誰からも強制されずに自分でした、数少ない選択の一つを示すと同時に、少なくとも一彦には倉沢家との関係を知られることなく生涯を終えたことを表している。

 一彦が結婚するときに真千子がまだ生きていたかどうかわからないが、もし生きていたとしても、過去を持ち出して反対することはなかっただろう。

 人々の「押しの強さ」に揺さぶられた真千子の人生であったが、一彦は「押しの強さ」で、14歳の時点で、香をめぐる進との争いに勝っていたのであった。

 心地よい騙され感はなかった(あらかじめ仕掛けものだと知っていたので、性別と時系列には注意したから)が、一読して「なんでそうなるかな」と思っていた部分が、再読すると「非常によくできている」に変わるという珍しい本だった。

 最近お笑いが大好きなわしとしては、ダブルブッキングのネタを思い出した。一人が会社の同僚(上司だったかな?)に、飲み屋での話などするネタで、もう一人が話し手の意図した本題以外にばっかり食いついてくるというもの。「サッカーの稲本は親戚だし」「カツラだし」みたいに、一般的にみて「そっちの方がずっとずっと興味深い」という話が軽く挿入されるんである。

 この小説で著者は青春話が本題とみせかけ、14歳の夏よりももっと興味深いいくつかの人生を描いているのであった。

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